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福島地方裁判所白河支部 昭和32年(わ)156号 判決

被告人 大野一男 外二名

主文

被告人大野一男、同円谷芳を各懲役三年に、被告人亥飼力を懲役二年に処する。

未決勾留日数中三〇日を被告人等の右刑に各算入する。

但し、被告人等に対しこの裁判確定の日からいずれも三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用はこれを三分し、その二を被告人大野一男及び同円谷芳の連帯負担とし、その余を被告人亥飼力の負担とする。

理由

(事件発生までのいきさつ)

被告人大野は自動車運転手として、被告人円谷、同亥飼は工員として福島県西白河郡矢吹町所在富永精機製作所にそれぞれ勤務していた者であるが、昭和三二年一一月三〇日午後七時半頃から矢吹町内飲食店「かねよし」において右製作所工員藤沢明、山口忠司、影山貞義、塩田清とともに飲酒した後、午後一〇時過頃影山を除く六名で同町大字矢吹字小山所在新滝旅館田島トラ方に至り、同旅館八畳間において女中ことA(当時二三年)外女中一名の接待で二次会を開き、唄を歌つたりして騒いでいるうち、午後一一時を過ぎた頃から次第に座がくずれ始めた。午後一二時近くになつた頃藤沢は右Aを誘つて同所から約八〇米離れた同町大字矢吹字岡谷地のアサヒ食堂に赴き、同食堂において更に飲酒した上そばを食べていたところ、約二、三〇分後そこへ山口、次いで被告人円谷、同亥飼が入つて来た。そして同人等はそばを注文したが、もう遅いという理由で断られたので、被告人亥飼はさきに藤沢等が注文した残りのそば一つを貰い、被告人円谷とこれを分けて食べた。

(罪となるべき事実)

昭和三二年一二月一日午前一時頃山口が亥飼方に預けて置いた鞄をとりにアサヒ食堂を出た後、残つた者一同は時間が遅いから帰ろうということになり、勘定を支払つている藤沢を残して被告人亥飼、同円谷及びAは相前後して同食堂前の路上に出た。その頃丁度新滝旅館の方から同食堂前に来合わせた被告人大野は、食堂を出て帰宅しようとするAの姿を見るや、にわかに欲情を催し、被告人円谷と意思相通じた上、同女を強いて姦淫しようと考え、被告人大野は同女の左手を、被告人円谷は右手を掴んで同女を右食堂の隣家芳賀履物店南側の空地(矢吹町大字矢吹字岡谷地一八番地内)に連れこみ、被告人大野が、同女に対し「坐れ」と言つて地面に尻をつかせ或は転がす等の暴行を加え、更に立ち上つた同女の胸部附近に「騒ぐとこれだぞ」と言つて小刀様のものをつきつけて畏怖させ、もつてその反抗を抑圧した上、右空地内の桐材置場附近(道路から約二〇米の地点)に連行し、同女の紋平及びズロースをむりやり引き下げて片足からはずし、同女を桐材の上にあげ、自らは北向きに桐材の上(別紙第一図イ点附近)に腰をかけ、同女の股を開いて向い合い自己の膝にのせた上、同女を斜め後方に押し倒し(別紙第一図ロハ線上)、その上から抱きしめながら、強いて同女を姦淫し、続いて附近で待機していた被告人円谷も前同様の姿態でその反抗を抑圧して強いて同女を姦淫し、更に右被告人両名の後から空地に入つて来た被告人亥飼は、右姦淫の事実を察知するや、にわかに欲情を催し、同女を強姦しようと考え、同女の許に至り、引き続き右桐材上において前同様の姿態でその反抗を抑圧して強いて同女を姦淫したものである。

(証拠の標目)

事件発生までのいきさつにつき

一、証人藤沢明、同芳賀トキ子、同田島トラ、同Aの各証人尋問調書の供述記載

一、山口忠司の検察官に対する供述調書

一、被告人大野、同円谷、同亥飼の司法警察員に対する各昭和三二年一二月五日付、同年一二月二二日付供述調書

一、検察官の検証調書

一、戸籍抄本

罪となるべき事実につき

一、証人藤沢明、同芳賀トキ子、同田島トラ、同A、同石田幸、同斎藤武雄、同片倉義夫、同佐藤好武、同佐藤清次、同亥飼酉一、同小泉一作の各証人尋問調書の供述記載

一、証人国分昇の当公判廷における供述

一、Aの検察官に対する供述調書四通

一、告訴状

一、当裁判所の昭和三三年三月四日及び同年六月一八日施行の検証調書

一、検察官の検証調書

一、司法警察員の実況見分調書

一、司法警察員石田幸作成の領置調書

一、医師片倉義夫作成の鑑定書

一、佐藤好武作成の鑑定書

一、被告人亥飼力の司法警察員に対する昭和三二年一二月五日付、同二二日付、検察官に対する同年同月一二日付(一九項)、同二三日付、同二五日付各供述調書

一、被告人円谷芳の司法警察員に対する昭和三二年一二月二二日付、検察官に対する同年同月一二日付、同二五日付各供述調書及び検察官に対する弁解録取書

一、被告人大野一男の第一〇回公判における供述(一部)

一、被告人大野一男の司法警察員に対する昭和三二年一二月五日付供述調書一三項及び検察官に対する同年同月一二日付供述調書一〇項

一、押収してある黒木綿ズロース一枚(証第一号)の存在

(法令の適用)

被告人大野、同円谷の判示所為は、刑法第一七七条第六〇条に、被告人亥飼の判示所為は同法第一七七条に各該当するので、所定刑の範囲内において、被告人大野、同円谷を各懲役三年に、被告人亥飼を懲役二年に処し、同法第二一条により未決勾留日数中各三〇日を被告人等の右刑にそれぞれ算入し、同法第二五条第一項を適用して被告人等に対しこの裁判確定の日からいずれも三年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用はこれを三分し、刑事訴訟法第一八一条第一項、第一八二条を適用してその二を被告人大野、同円谷の連帯負担とし、その余を被告人亥飼の負担とする。

(おもな争点に対する判断)

第一、弁護人は、本件告訴はAの自由意思に基くものではなく、雇主である田島トラの強制によつてなされたものであるから無効であり、従つて本件公訴は刑事訴訟法第三三八条により棄却さるべきものであると主張する。そこで本件告訴の効力について考えてみるに、証人佐藤清次、同Aの証人尋問調書の各供述記載によれば、本件告訴状は司法書士佐藤清次が昭和三二年一二月二日田島トラの依頼に基き作成したものであるが、作成後告訴人たるA(以下被害者という。)に告訴状の内容を逐一全部読み聞かせたこと、そして被害者はその内容を一応了知した上任意告訴人名下に指印したことが認められ(なお、被害者の検察官に対する昭和三二年一二月一八日付供述調書二六項によると、被害者は一二月一八日頃もなお告訴の意思を変えないことが窺われる。)、他に被害者が第三者の詐術、強制その他の不当な意思の圧迫を受けて本件告訴の挙に出たことを認め得る何等の証拠もない。そして右告訴状によれば被害者は白河警察署長司法警察員村上潔雄に対し、本件被害事実を申告して明白な処置、すなわち犯人の処罰を求めていることが明らかであるから、本件告訴には何等の瑕疵もなく、弁護人の右主張は理由がない。もつとも、右告訴状には、その作成名義人として被害者の本名が表示されず「X」なる名義が用いられているのであるが、被害者の前掲証人尋問調書及び検察官に対する昭和三二年一二月一八日付供述調書の各記載によれば、Xなる名称は、被害者の当時の通称であることが認められ、しかも前記認定のように本件告訴状は告訴権者たる被害者が告訴の意思をもつて作成したものであることが明らかであるから右のような作成名義が用いられていても、本件告訴の効力には毫も消長を来たすことはないと解する。

第二、次に弁護人及び被告人等は、全面的に本件公訴事実を争い、被告人等はいずれも無罪であると主張する。本件審理の過程における当事者の争点は多岐にわたるものであるが、当裁判所は、冒頭の認定を補足する趣旨で、以下おもな事実上の争点に対する判断を示す。

一、本件犯行前の状況

先ず後記説明の便宜上、本件発生までの被告人等及び被害者の行動について一瞥する。

昭和三二年一一月三〇日福島県西白河郡矢吹町所在富永精機製作所に勤めていた被告人等三名は、当日は給料日であつたので、その日の午後職場で工員の藤沢明、山口忠司、影山貞義、塩田清と今晩集まつて酒を飲もうと話し合い、その場所を矢吹町内の飲食店「かねよし」ということに決めた。作業終了後被告人大野は午後五時半頃一旦帰宅し、刈上祝の餠を食べてから入浴した上、黒オーバーを着て「かねよし」に赴き、被告人亥飼は山口を連れ午後六時半頃帰宅し、山口の鞄を母親に預けた上「かねよし」に行き、全員が揃つたのは午後七時半頃であつた。右七名は、「かねよし」で各人が持ち寄つた合成酒等約四升を飲んだが、午後一〇時過頃二次会をやろうという話になり、影山を除く六名がまつすぐ矢吹町大字矢吹字小山所在の新滝旅館田島トラ方に至り、一人二〇〇円会費ということで酒を銚子で一〇本程注文した。同旅館では主人田島トラが軽い脳溢血のため床に就いていたので、同年一一月二八日雇われたばかりの被害者と当時手伝いに来ていた芳賀トキ子が客の接待に出た。被告人等六名は、同旅館八畳間で女中二名を交えて、賑やかに唄を歌いながら飲酒していたが、午後一一時を大分過ぎた頃から次第に座がくずれ、同旅館帳場に行つてこたつに休んだり、帰る者もいた。午後一二時近く藤沢は被害者にそばを食べに行こうと誘い、矢吹町大字矢吹字岡谷地八九番地アサヒ食堂に赴き、同食堂で最初酒を飲んでいたところ、間もなく注文したそばが二個できたので、被害者はそのうち一個をトキ子に届けるべく一旦外へ出たが、途中熊田時計店附近で新滝へ行くという男にそばを託し(この頃トキ子は新滝旅館門口のところまで被害者を探しに来たが、被害者をみて名前を呼んだところ、被害者は「はい」と答えている。)直ちにアサヒ食堂に戻つたところ、追加のそばがもう一つできていた。翌日午前零時半頃そこへ新滝旅館に残つていた山口、次いで被告人円谷、亥飼がそばを食べようとして入つて来たが、店の者にもう遅いからできないと断られた(山口は店内に入ると多少飲み過ぎたためか片隅の机に頭をかかえて坐つていた。)。そこで被告人亥飼は、藤沢等の机の上に残つていたそば一つを貰い、被告人円谷とこれを分けて食べたが、時間もかなり遅いので一同は帰ることとなつた。

以上の事実は、証人藤沢明、芳賀トキ子、田島トラ及び被害者の各証人尋問調書の供述記載、山口忠司の検察官に対する供述調書、被告人等の司法警察員に対する各昭和三二年一二月五日付、同年一二月二二日付供述調書、検察官の検証調書を綜合してこれを認めることができる。

二、被害事実について

本件において最初に問題となる点は、被害者がその供述する如く、昭和三二年一二月一日午前一時頃矢吹町大字矢吹字岡谷地一八番地の本件空地内において三人の男によつて強姦されたか否かである。弁護人は、この点に関する被害者の供述は、前後矛盾するところ多く、特に犯人の強姦の姿態について全く相反する供述をなしており、被害者の経歴、当日の飲酒量等に照らしても全く信用し難く、右被害者の供述はすべて虚偽架空のものであり、且つ本件は雇主田島トラが示談金欲しさから捏造した演出に過ぎないと主張する。よつて他の証拠と対比しながら、被害者の証人尋問調書の供述記載及び検察官に対する供述調書四通の真実性について検討する。

(一) この点について被害者は前記調書を通じておおむね次のような供述をしている。すなわち、午前一時近く被害者は勘定を支払つている藤沢を残したまま、被告人亥飼と殆ど同時位に相前後してアサヒ食堂から出て新滝旅館に帰ろうとしたところ、同食堂前路上に先程新滝旅館で飲んだ二、三人の男が何か話をしており、その中の一人から突然被害者の左手を、また他の一人から右手を掴まえられ、本件空地内に連行された。そして先ず左手を掴んだ男に「坐れ」と言われてむりやり地面に尻をつかせられ、被害者が立ち上ると今度は藁屑の積んであるところへ転がされ、再び起き上ると「騒ぐとこれだぞ」と言われて小刀のようなものをつきつけられたので、恐ろしくて騒ぐこともできなかつた。するとその男は、被害者を桐材置場の所へ連れて行き、「いやだいやだ」というのをむりやり紋平やズロースを下げ、片足をすつかり脱がせて被害者を桐材の上にあげ、身動きできないように抑えて後述のような姿態で被害者を姦淫した。その男が終ると、今度は右手を掴んだ男がすぐ来て前と同じように被害者を姦淫した。これが終るとアサヒ食堂でそばを貰つて食べた男が来て「俺にもやらせろ」と言いながら右同様被害者をむりやり姦淫した。終つてから被害者がズロースと紋平をはき、泣きながら新滝旅館へ帰ろうとすると、第二、第三の男及び藤沢が同旅館入口までついて来たが、被害者は同旅館玄関脇の生垣に入つて泣き続け、更に同旅館八畳間で大声で泣き出した。そのとき田島トラに事情を聞かれたが、驚愕の余り何も話せず、今晩は休むように言われて床に就き、朝起きてからトラに一切の事情を話し、医師の診断を受けた上、警察に届け、その際当夜着用していた黒ズロース(証第一号)を警察に差し出した。なお、当夜強姦される際膝に小さな傷ができ、若干出血したというのである。

(二) 以上の供述を他の証拠と対比してみるに、証人藤沢明(この証人は、犯行時に最も接着した前後の状況をかなり詳細に記憶し、その供述内容も他の多くの証拠と符合するばかりでなく、供述全般を通じて合理的且つ自然であつておおむね一貫しており、相当高度の信憑力がある。)、同芳賀トキ子、同田島トラ、同石田幸の各証人尋問調書の供述記載、当裁判所の昭和三三年三月四日及び同年六月一八日施行の各検証調書、司法警察員石田幸作成の領置調書を綜合すると、アサヒ食堂において、被告人亥飼、同円谷がそばを食べ終つた後、午前一時近く先ず山口が鞄を持つてくると称して店を出、その直後被害者及び被告人円谷、同亥飼が、藤沢を残して、殆ど相前後して店を出たこと(この点は被告人亥飼の司法警察員に対する昭和三二年一二月五日付、検察官に対する同年同月一二日、同二五日付各供述調書、被告人円谷の司法警察員に対する同年同月五日付、同二二日付、検察官に対する同年同月一二日付各供述調書の記載とおおむね符合する。この点に関する証人山口忠司、同小島まつ子の各証人尋問調書の供述記載は措信し難い。)、店を出た被告人等は間もなく芳賀下駄屋の方向に行つたこと、藤沢は代金を支払つた後一旦芳賀下駄屋の附近まで行つたが、誰もいないので新滝旅館に帰ろうとすると、被害者を探しに来た芳賀トキ子と出会つたこと、同旅館に戻つたところ、被害者は未だ帰つておらず、トラから「うちの女中(被害者)を連れて来て返せ。」と叱られたため、再び本件空地前道路上まで探しに行つたところ、本件空地西北部(道路から約三、四米入つたひば垣のそば)に被害者がうずくまり、その附近に被告人円谷、同亥飼が立つていたこと、藤沢や被告人亥飼、同円谷が被害者と新滝旅館に帰る途中、アサヒ食堂においては快活に騒いでいた被害者がしくしく泣いており、新滝旅館玄関前まで行くと突然生垣に入つて泣き出し(これはトラに叱られたためではない。)更に同旅館八畳間に入つて「こわい、こわい」と大声で泣き、トラがその理由を聞き訊してもただ泣くばかりで頭はごみ(藁屑)だらけ、紋平の膝や尻は泥だらけとなつていたこと、翌朝トラが被害者にその事情を尋ねたところ、三人の男に本件空地内で強姦された事情を詳細に説明したので、先ず被害者に医師の診断を受けさせ、被害者が当夜着用していたズロース(証第一号)を持参して警察(警部補派出所)に届け、その際司法警察員石田幸が右ズロースを領置したこと、そして被害者は当日の実況見分の際警察官に対し強姦されたとき膝に傷を受けたことを申し出たので、右警察官がこれを見たところ、被害者の膝に軽い傷があつたこと(これは昭和三二年一二月三日付医師松田力作成の診断書の記載とも符合する。)を各認めることができる。そして司法警察員の実況見分調書の記載及び添付の写真2、3によれば、当時本件空地には藁屑等が散乱し、桐材が約二個所に相当量積まれてあつたことが窺われ、また押収してある黒木綿ズロース(証第一号)の存在、佐藤好武作成の鑑定書及び同人の証人尋問調書の供述記載によると、鑑定の結果、本件ズロース内側の七個所から精液が検出され、そのうち三個所がA型、他の三個所がO型の精液であること(従つて少くとも二人以上の男性の精液であること)が認められる。

(三) してみると、被害者の前記供述は、当裁判所が右に認定した客観的事情とおおむね合致するものであつて、到底虚偽や架空のものとは認められないばかりでなく、その供述内容も真実経験したものでなければ述べ得ないような詳細なもの(特に後記強姦の姿態)で、おおむね一貫していることからみれば、右被害者の供述には高度の真実性があると考えられる。弁護人の主張するように当夜被害者が約二・五合位飲酒していたとしても、同人の平素の酒量が四合位であること(被害者の証人尋問調書の供述記載)を考え合わせれば、これをもつて直ちに被害者が自己の行動について記憶がないと云えないことは明らかであり、また当裁判所の前掲検証調書二通、前掲司法警察員の実況見分調書の各記載によると、本件空地の西南北の三方には人家が立ち並び附近には遅くまで営業していると思われる飲食店等も存在するのであるが、本件空地西側の道路は矢吹町の中央を南北に通ずる国道のいわゆる裏通りであつて、平素人車等の往来は少く、特に本件犯行現場は右道路から約二〇米も入つた桐材の上であつて、当夜右道路西側の酒井歯科医院の外燈がかりに灯してあつたとしても、右路上からは、よほど注意してみないと現場附近の人の姿を発見し得ないような状況下にあつたものと推定され、本件犯行時刻が午前一時という深夜であることを考え合わせると、直ちに本件犯行場所自体の状況から被害者の前記供述の真実性を否定するわけにはいかない。

(四) もつとも、被害者は強姦の姿態につき、検察官に対する供述調書においては、犯人の膝の上に抱かれて強姦されたと述べ、当裁判所の証人尋問調書においては、桐材の上に寝かされて強姦されたと供述し、一見矛盾する供述をしているかのように見受けられるのであるが、本件証拠調にあらわれたこの点に関する各証人の供述を桐材の置いてあつた状況にあてはめて考えてみると、被害者の前記供述は必ずしも矛盾するものとは考えられない。すなわち、前掲司法警察員の実況見分調書第二項の記載、添付の略図その二及び写真2、3、4、5によれば、被害者の強姦されたという場所は、東西に数十本積み重ねてある桐材の上で、右桐材はこれを西方からみると、その積載横断図はおおむね別紙第一図記載のとおりであり、本件現場は右図面中イ点乃至ハ点の凹んだ場所であると推定される。そして、被害者及び他の証人のこの点に関する供述をみると、被害者の検察官に対する昭和三二年一二月一五日付供述調書二、三項では「その背の高い人が私を積んである木の一尺位の高さの処へ上げて………その男が積んである木の上に腰をかけて私をその膝の上に抱き上げて………しつかり抱きしめて(姦淫した)」、同じく検察官に対する昭和三二年一二月一八日付供述調書一七、一八項では「背の大きい人が………すぐ側の木の積んである所へ同人が腰をかけて私を膝の上に股を開かせてのせて………私の顔を男の方に向けて胸と胸とを合わせてやる様なやり方で向合つて抱きしめられた」、同じく検察官に対する昭和三二年一二月二四日付供述調書一五項では「私の手を動かされないように向い合いにしつかり抱きしめられてその男が材木の上に腰かけて私をその膝の上に乗せて強姦された」、被害者の証人尋問調書の供述記載によれば、

どういう恰好ではめられたか。

前からはめたのです。

円谷はどんな恰好でやつたのか。

やはり前からはめたのです。

それからどうしたか。

終つたら亥飼さんが来たのです。そして前からやられたのです。

やられる時は立つたままの姿勢であつたか。

木の上に寝かされたのです。

三人ともそうか。

そうです。

寝かされたというが、腰をかけたのと違うか。

木と木の間に寝かされたのです。

寝かされてやられたというが、具体的にはどのようにしてやられたのか。

よつかかつた(寄りかかるの意)のです。

相手の男は腰をかけてやつたのと違うか。

あおむけに寝たわけでなく、木によつかかつた姿勢でやられたのです。

男は証人の上になつたのか。

そうです。

桐の木の上は幾分平らになつていたのか。

そうです。

その桐の木と木の間に寝かされたのか。

三本位積んであつた桐の木に桐の木と十字形の形になつて寝たのです。

最初の男はどのようにして証人にのしかかつたのか。

私が下で男が上でした。

その後の男の時もそのような姿勢であつたか。

そうです。

というのであり、証人田島トラの証人尋問調書の供述記載によれば「被害者を連れて現場に行つて確かめたところ、空地の桐の木の上であつた」、そして証人斎藤武雄の証人尋問調書の供述記載によれば、

(亥飼の)やつた位置は何処という事だつたか。

桐材を重ねた中間の空所という事でした。

桐材の間はどんな状態になつていたか。

(亥飼は)木と木の間に人が漸く入る位の間隙があつたと言つておりました。

また証人国分昇の証言によれば

性交の姿勢について亥飼はどんな供述をしたのか。

現場に行つたとき、円谷と女は丸太のところにおり、女は紋平をつかんでいたので、円谷はやつたなと直感した。すると劣情が起き、俺にもやらせろと云つて紋平を下にさげ、前抱き(前座位)でやつたと述べました。

前座位で証人はできると思つたか。

出来ないことはないと思いました。

女が能動的でなければ不可能でないのか。

抱いていても桐の木のところにおつかけてやつたと云つていました。劣情を催しているのだからできないことはないと思います。

というのである。以上の供述を綜合して本件強姦の姿態について考えてみると、犯人が被害者の後方からする体位又は犯人が南向きとなり桐材に腰をおろし、被害者を膝の上にのせてする体位とみることは、以上の状況に合致しないというべきであり、本件における具体的状況に照らせば、犯人は先ず被害者を一尺位の高さの桐の木の上にあげ、自らは別紙第一図イ点附近に北を向いて腰をおろし、被害者の股を開いて向い合いに自己の膝の上にのせ、更に被害者を同図ロハ線上に斜め後方に押し倒し(いわゆる寄りかかること)、犯人が被害者の上におおいかぶさるようにしてしつかり抱きしめて姦淫したものと推認すべきである。してみれば、被害者の検察官に対する供述と証人としての供述とは、決して弁護人主張のように相反するものではなくただ前者は犯人の姿勢を主とした供述であり、後者は被害者の姿勢を主とする供述に過ぎないことが明らかである。

(五) 次に、本件は田島トラが示談金欲しさに捏造した演出である旨の弁護人の主張について考えてみるに、本件証拠調の結果を仔細に検討してみても、田島トラが被告人等又はその家族等に対し積極的に示談金を要求した事実或は示談金欲しさから虚偽の告訴をなさしめたことを認めるに足りる何等の証拠もなく、かえつて証人田島トラ、同小泉一作、同亥飼酉一の各証人尋問調書の供述記載を綜合すると、本件発生後小泉一作なる者が被告人等の親族に対して被害者と示談するよう積極的に交渉に当つたこと、しかしこれは田島トラから依頼を受けてなしたものではなく、小泉がこれまで時折事件に介入して示談を成立させた経験を有するところから、本件の場合にも、被告人等の勤先富永精機製作所の所長が田島方を訪れ、示談の申込をした事実を聞知したので、自ら進んでその仲介の労をとろうとしたものであることが認められるから、この点に関する弁護人の主張は理由がない。

(六) 以上詳細に説示した理由により、当裁判所は判示のように被害者が二人以上の男から強姦を受けた事実を認定する。

三、犯人の特定

そこで次に前記のような犯行が被告人等三名の所為であるかどうかについて判断する。

(一) この点について被害者は、前掲検察官に対する供述調書四通、証人尋問調書において、犯人は新滝旅館において当日飲酒した富永精機製作所の従業員六名のうちの三名であつて、第一の男(アサヒ食堂前で被害者の左手を掴み、現場で最初に強姦した男)は、背の大きい黒オーバーを着ていた人で、新滝旅館で被害者を叩いたり、同旅館から出るときオーバーを置き忘れ、被害者が玄関口まで持つて来てやつた人であり(特に第一の男が黒オーバーを着用していたことは、被害者の昭和三二年一二月二日付司法警察員に対する供述調書にもみられるとおり、被害者が当初から明確に述べている点に留意すべきである。)、第二の男(アサヒ食堂前で被害者の右手を掴み、二番目に強姦した男)は、第一の男よりも少し背が低く、やせ型、顔はやや面長の人で、新滝旅館では立つたり坐つたり落ち着きのなかつた人であり、第三の男(三番目に強姦した男)は、アサヒ食堂に被害者よりも後に入つて来て、被害者がそばをやつた男であり、第二、第三の男は、強姦後被害者を新滝旅館まで連れて戻つた(第二の男は、その時オートバイをひいていた。)旨、そして本件強姦現場附近は真暗ではあつたけれども、近ずけば誰であるか判る程度であり、被害者はその以前新滝旅館で三人の男の顔を見て知つているし、また第一、第二の男の顔はアサヒ食堂の明りで見えたし、第三の男は食堂内でも見ているので、その姿恰好や声で充分被告人等を認識することができた旨の供述をしている(特に後述の首実験をするまでは、犯人の名前はよく知らないが、顔を見れば判る旨述べている。例えば、被害者の前掲司法警察員に対する供述調書、証人佐藤清次の証人尋問調書の供述記載)。

被告人等三名が富永精機製作所の従業員であつて、当夜他の三名の従業員とともに新滝旅館において飲酒したこと、その席に被害者が出て接待をした関係上、被告人等三名について面識のあること、アサヒ食堂において被害者等から残りのそばを直接貰つたのは、被告人亥飼であること、本件強姦後被害者が新滝旅館まで帰る際、被告人円谷、亥飼がついて来たことは、いずれも前記一及び二の(二)に認定した事実から肯認し得るところである。そして当夜被告人等三名、藤沢明、山口忠司の五名中黒オーバーを着用していたのは、被告人大野だけであることは、証人藤沢明の証人尋問調書の供述記載、山口忠司の検察官に対する供述調書、被告人等三名の検察官に対する昭和三二年一二月一二日付各供述調書によつて明らかであり、被告人大野が当夜新滝旅館八畳間で飲酒中被害者を叩いたこと及び玄関先で部屋に忘れた黒オーバーを被害者から受けとつた事実のあることは、第一〇回公判における被告人大野の供述及び同被告人の司法警察員に対する昭和三二年一二月五日付供述調書によつて認められる。また証人藤沢明の前掲証人尋問調書及び被告人円谷の司法警察員に対する昭和三二年一二月二二日付供述調書によると、当夜藤沢等が被害者を新滝旅館に連れ戻る途中、被告人円谷は、アサヒ食堂前においたバイク(原動機付自転車)をひいて行つたことを認めることができる。そして本件空地内の桐材置場であつた附近は、当裁判所の昭和三三年六月一八日施行の検証調書によれば、夜間かなり暗い場所であるけれども、約〇・五米離れて相対峙すれば、相手の目、鼻、口及び顔の輪郭を略々認識し得る程度であることが判る。これに加えて、証人藤沢明の前掲証人尋問調書の供述記載、被害者の検察官に対する昭和三二年一二月一五日付供述調書によると、被害者が顔をみれば犯人を特定できるというので、昭和三二年一二月一五日検察官がその面前において、被害者と被告人等三名、藤沢明、山口忠司を面通し(いわゆる首実験)させたところ、被害者は被告人等三名が犯人であつて、第一の男が被告人大野、第二の男が被告人円谷、第三の男が被告人亥飼であると指示したことが窺われ、被害者の証人尋問調書の記載によると、被害者は、被告人等三名立会の下に行われた右証人尋問においても、第一の男が被告人大野、第二の男が被告人円谷、第三の男が被告人亥飼であることを明確に指摘しているのである。以上のような経過からすれば、犯人の特定に関する被害者の供述は、相当理由のあるものといわなければならない。

(二) ところで、被告人大野は当夜午後一一時三〇分頃帰宅し、本件発生当時現場にはいなかつた旨弁解し、証人大野ハルの第一、二回証人尋問調書には、右弁解に副う供述記載がある。そこで証人大野ハルの供述の信憑力について検討するに、同証人の供述の要旨は、「証人宅においては、五、六年前から帰宅の遅い者がある場合には、一男(被告人大野一男)の寝室である別紙第二図〈3〉の部屋の豆電球をつけておき、一番遅く帰宅した者がこれを消して就寝するという習慣になつている。昭和三二年一一月三〇日夜は一男の帰宅が遅いので、豆電球だけを灯して家人は就寝した。証人は夜中に目を覚ましたところ、〈3〉の部屋は勿論家中の電気が全部消えていたので〈1〉の部屋の電気をつけて柱時計を見たところ、一二時五分前であつた。そして便所に行くため〈2〉の部屋に来て電気をつけたところ、〈2〉と〈3〉の部屋の障子をいつも約一尺程開けておくので、そこから電気の光で〈3〉の部屋に就寝している一男の姿がみえた。そして土間には一男が当夜履いて行つた桐下駄があり、入口の硝子戸には鍵がかけてあつた。」というのである。ところが、同人の司法警察員に対する昭和三二年一二月一九日及び同二二日付供述調書の記載(前者という)によると、重要な点において前記供述記載(後者という)とくい違いを見せている。すなわち、(1)証人が〈1〉の部屋の柱時計を見た際、前者によれば一二時丁度であるのに、後者によれば一二時五分前であつたというのであり、(2)前者によれば、証人が便所へ行くため表へ出る際入口の戸締がしていなかつたのに、後者によれば入口の硝子戸に鍵がかかつていたという供述に変つており、(3)前者によれば、〈2〉の部屋に来た際〈3〉の部屋が暗くなつていたので、一男が帰つて寝てしまつたのかと思つた(すなわち推測である。)だけで、その寝姿を確かめたわけではないと言いながら、後者においては、〈2〉の部屋の電気の光で開けてある障子の隙間から一男の寝姿が見えた(すなわち経験である。)と断言しているのである(なお、当裁判所の昭和三三年六月一八日施行の検証調書によれば、一男が寝ていたとすれば、〈2〉の部屋の電気が〈2〉と〈3〉の部屋の約一尺三寸の隙間を通して直接一男の頭部附近に照射される位置関係にあることが明らかである。)

このように右証人の供述には、アリバイに関する最も重要な点(特に(2)(3)の点は本件では特に重視されなければならない性質のものである。)においてくい違いのあること(自己矛盾)、記憶のかなり新鮮な時期(特に被告人大野が再逮捕された直後のことである。)において単に推測に過ぎなかつた供述が、約一三〇日も経た後の公判において直接自己が経験した旨の供述に変つていること(不合理)、更には右証人が被告人大野の母という身分関係を有し通常公正な供述を期待できない立場にあること(偏頗)等の諸点を考え合わせると、証人大野ハルの前記供述記載は到底信用できないものといわなければならない。

(三) そこで進んで被告人亥飼、同円谷の供述調書の供述内容をみるに、被告人亥飼は、司法警察員に対する昭和三二年一二月五日付、同二二日付、検察官に対する昭和三二年一二月二三日付、同二五日付各供述調書(これらの供述調書は、本件証拠調の結果に照らし、いずれも任意性があると認められ、且つ、被告人亥飼に対する関係においては、刑事訴訟法第三二二条により、検察官に対する供述調書は他の被告人に対する関係においては、同法第三二一条第一項第二号によりそれぞれ証拠能力を有する。)において「被害者と前後してアサヒ食堂を出たところ、新滝旅館の方から被告人大野があらわれ、被害者を連れて空地の方に行き、その後から被告人円谷が空地に入つて行つたので、自分も少し空地に入ると間もなく円谷が来た(大野も円谷も被害者と関係したようであつた。)ので、すぐ桐材の所まで行くと被害者が紋平やズロースをはきかけていたので、いやだいやだというのをむりやり姦淫した。」旨供述しており、被告人円谷は終始自己の犯行を否認しているが、検察官に対する弁解録取書、昭和三二年一二月一二日付、同二五日付供述調書(これらは前同様任意性があるものと認められ、被告人大野に対する関係において刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の証拠能力を有する。)において、「アサヒ食堂を出ると、黒いオーバーを着た被告人大野があらわれ、女は何処へ行つたと聞くので、空地のひばのところにいると教えると、空地の桐材置場の方へ行つて行つた。」旨供述している。これらの供述は、本件犯行時に最も接着した時期に被告人大野、円谷が本件空地内にいたこと及び被告人亥飼が被害者を強姦したことを示すものであり、犯人の特定に関する有力な資料となることは疑いがない。

(四) 最後に被害者が当夜着用していた(この点は、特に反証のない本件においては、被害者、証人石田幸、同田島トラの証人尋問調書を綜合して認めることができる。)ズロースに附着していた精液は、鑑定の結果前記のようにA型及びO型であるところ、医師片倉義夫作成の鑑定書によれば、被告人大野の血液型はO型、他の被告人等はA型であつて、血液型の点において両者矛盾するものでないことが明白である。

(五) 以上詳細に説示した理由により、当裁判所は本件犯行は被告人等三名の所為であると認定する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎益男 渡辺才源 佐々木泉)

第一図 桐材の状況(横断図)〈省略〉

第二図 証人大野ハル方居宅間取図〈省略〉

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